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【連載:番外編】 揺るがぬ“プロ意識”を強みに、日本×グローバル×サイエンスをつなぐためFTIへ

連載 番外編

株式会社ファストトラックイニシアティブ(以下、FTI)は、2022年4月、総額130億円で3号ファンドの組成を完了しました。また、初の海外投資として米国・バイオスタートアップ2社(セルシウス社、A社※社名非公開)に対し、米国トップティアのライフサイエンスVCと協調投資を完了しました。FTIが3号ファンドを通して目指す社会や、先んじて海外投資を行う理由とは…? FTIの代表パートナーである安西智宏とFTIの米国ボストンオフィスで活動する原田泰にインタビューを行い、複数記事にわたる連載形式でまとめていきます。

今回は連載の番外編です。大学では工学部で研究を進めていた原田が、研究者としてではなくキャピタリストとして、バイオテック/ヘルステック企業に特化した投資活動に従事している理由について掘り下げます。

▶︎連載①:「日本の研究基盤を世界に橋渡し」 FTIが米ボストンに拠点を設立した理由
▶︎連載②:「スタートアップの成功モデル」 日米の違いを肌で感じた2年間

【うまれ〜大学入学】日本と海外での生活

子供の頃は日本と海外を行ったり来たりする生活をしていました。生まれはタイで、幼少期はシカゴで過ごしました。のちに日本に移り住みましたが、なんとなく気づいた頃から将来はグローバルに何かをやってみたいと思うようになっていました。サイエンスが好きだったので、大学は工学部に進学。生物学のような基礎科学ではなくエンジニアリングの道に進んだのは、コツコツ地道な研究で培われた基礎科学の成果を「応用」することに興味があったからです。製品というアウトプットが見えるところでサイエンスをやりたいと当初は思っていました。そして入学後に配属された研究室は、工学部のなかでも基礎科学に近い研究を進めていて、そこで細胞学や生物学を極めることはすごく面白いとはじめて気がついたんです。初めての発見をすることのワクワク感に高揚し、より研究に身が入りました。大学4年から修士までの3年間は、本当に研究に没頭しました。

そんなとき、研究を進めながら感じていた課題意識がありました。それは、基礎研究を深めた先にどう応用に繋げていくか、どう人々に貢献するかというアウトプットが見えにくいということです。またそれと同時に、研究室のメンバーでのコラボレーションの先のコミュニティが広がっていかない感覚もありました。製品というアウトプットが見えないことと人との繋がりが薄いという、そんな2つの閉塞感が渦巻いているような感覚があったのです。

これをどう解決するか? と自分なりに考えました。コミュニティが狭いという点については、自分のルーツやアイデンティティでもある「グローバルにやってみる」ことで、その閉塞感を打破できるのではと思い立ち、博士課程はアメリカで進学することを目指し始めました。それに向けて、ファーストオーサーのクオリティの高い論文を出せるように日々研究に励む日々を過ごしました。

【大学での研究】論文で“負ける”という挫折を味わう

大学時代に私が取り組んでいたのは、RNAの修飾に関する研究でした。とても面白い発見ができ、その内容の論文化を急いでいました。そんな中起こってしまったのが、同内容の研究を競合だった米ユタ大学の研究チームが先に論文を発表したことでした。まさに私が書いていた内容と同じ研究の成果論文が、先に出てしまったのです。これは、書き進めている論文を途中で路線変更できないほどのものでした。残りの期間で面白いアウトプットを出して研究者をあっと言わせられるような論文を書き上げるには難しい…と、そこでパンチを食らったような衝撃を受け、途方に暮れました。修士1年の冬のことでした。

アメリカへの進学の道が閉ざされかかり、どうしようかと考えあぐねていた際、周囲にマッキンゼー出身者が何人かいてよく「受けてみれば」と言われていたことを思い出したんです。当時の私の周りにはたまたまマッキンゼーに就職した人が多く、人との繋がりの面で考えたらいったんビジネス側に出ていくのもありかな、と思いました。その後、就職活動を経て無事マッキンゼーに入社し、研究からビジネス側への道を辿ることになりました。

【マッキンゼー時代】「プロ意識」が醸成された濃い4年間

結論から言うと“めちゃめちゃ良い経験”でした。在籍したのは4年弱ですが、とても濃い時間を過ごしました。1番は圧倒的な「プロ意識」が醸成されたことです。そのプロ意識が、今の自分の強みのひとつであるとも感じています。手を抜かない・クオリティに対して妥協しないという姿勢が身につきました。

マッキンゼーに入社した当時は、就職できた成功体験から有頂天になっていました。入社後1週間の講習期間を経て、次の1週間からすぐにプロジェクトに配属されました。私が入ったプロジェクトはチーム全員が外国人で、かつクライアントも外国人でした。製薬のマーケティングのプロジェクトでしたが、難しい分野な上に全部英語で進めなければならない業務であったことから、自分自身の立ち回りが全く機能しませんでした。しかし当時の私は、何かやっていれば認めてもらえるだろうという甘い考えから、何かしらの発言をしていれば良いという気持ちでいました。そして配属から1週間経ちマネージャーに言われた言葉が、「あなたは全く役に立っていないから、この瞬間にプロジェクトから外そうと思っている」という言葉でした。

この言葉が、とてもショックでした。コンサルというのは“村文化”が根強く、いったんプロジェクトから外されるとそういう評判がついて、次の仕事に呼んでもらえなくなるという負のスパイラルに陥っていくんです。私は最初のプロジェクトで降ろされて、今後のキャリアが終わったも同然という気持ちでした。自分には何が足りなかったのか、そのときマネージャーに聞きました。すると「プロ意識が足りない」ということを言われました。何か喋れば良いというのではなく、そのとき取り組んでいる作業や発言が、クライアントにどう役立っているのか、最終的なアウトプットにどう貢献するのか、高いクオリティにつながるものなのか、問いかけたことがあるのかと聞かれたんです。初めてそこで、プロ意識というものを意識しました。自分の中で最高峰のクオリティだと自信を持って言えるものを出せているかというと、そうではないということに気がつきました。それがとても衝撃的で、人生の転換点でもありました。そこでもう1週間チャンスをくださいと告げ、少しでもクオリティを高めることに意識を集中させ業務に取り組みました。

クオリティに妥協しないということは、VCのように1人ひとりに責任が乗っていればいるほど、大事であると感じています。ファイナンスや事業開発、基礎技術や臨床開発など、ビジネスからサイエンスにわたる幅広い分野への理解・熟達が求められるのがVCの仕事。その一方で、手を抜こうと思えばいくらでも出来てしまう業務でもあります。そんななかでも絶対に妥協しないプロ意識が根付いたのは、マッキンゼーに入社したこの経験から培われました。このときの辛い経験が、今の私の土台を築いたと思っています。

【シカゴMBAへ】VCへのキャリアアップまでの過程

そんな衝撃的なマッキンゼーでのスタートでしたが、2〜3年も続けていると日々の業務にも慣れてきます。自分の不甲斐なさに毎日葛藤していた初期に比べて、成長カーブがゆるくなってきているという実感がすごくしていたんです。そんなときに、次の成長について自分は何がしたいのか考え、頭によぎったのが「海外との接点」でした。マッキンゼーもグローバルカンパニーであり、常に海外と接する環境の中で仕事をしていました。しかし、自分自身がグローバルで戦える人材になってきているかと問われるとそうでもない気がしました。マッキンゼーという環境がそうであっただけで、自分自身に競争力があるという感覚がなかったのです。それに加え、今いるビジネスサイドからもう少しサイエンス側に戻りたいという気持ちもありました。

そのような理由で、次の舞台はVCではないかという仮説を立て、まずVCまでの過程としていったんMBAを挟もうと思い立ち、幼少期に過ごしたシカゴでMBAに進学しました。

【MBA】学んだ2つのこと

シカゴMBAでは、いくつかの気づきを得ました。まず1つ目は、アメリカ人のコミュニティの存在感です。MBAというところは、世界各国からグローバルな人材が集まってくる場所です。しかしその一方で、シカゴMBAのメンバーの7割はアメリカ人という構成でした。そうすると、アメリカのコミュニティというものを常に目にします。日本人の自分にとっては、それがとてもとっつきにくいものであるように映りました。幼少期にこの地で過ごした私にとっても、そのコミュニティの中では話を合わせるのが大変で、ネットワークに入っていく際にコミュニケーションの質が重要であることを実感しました。

2つ目は、MBAが産業を作っているということです。さまざまな産業がMBAから生まれていることを知りました。まさにその1つが、VC産業です。VCというコンセプトはハーバードビジネススクールから隆起し、シカゴMBAでもスタートアップ投資のコンセプト事業化がなされていきました。そのことから、MBAとVC産業は深いつながりがあるのです。

そんなつながりのひとつが、次に歩みを進めるARCHというシカゴのVCです。ライフサイエンスやヘルスケアVCを生み出しているスクールのひとつがシカゴMBAですが、ARCHもその流れで設立された、シカゴMBAのOBOGが多く在籍し毎年数千億円規模のファンドを立てている実績のあるVCです。私もシカゴMBAのコネクションからARCHで働くようになり、MBAとVCという二足のわらじの生活を送ることになりました。

【ARCHでの衝撃】キャピタリストとしてのイロハとショックな事実を知る

ARCHで取り組んだのは、新規案件の探索と評価でした。ライフサイエンスや創薬、診断、研究ツールなどの分野を中心に投資活動を行っていたARCHですが、米国に限らずグローバルな展開をしていました。そのとき衝撃を受けたのは、そのディールの多さです。インターン初日に、1,000社くらい列挙された企業のリストを渡されて、それを2日で評価してくださいと言われたんです。リストが長すぎて、とても2日で見れるわけがないと度肝を抜かれた覚えがあります。しかし、それをメンバーみんな普通のごとくこなしていたんです。とにかくアクセスできるディールの数が多い。そして、その中からトップofトップの面白い企業を選んでいるという、圧倒的数の中での戦いをしている。初めて見たそのときはその企業の事業を面白いと思っても、1,000社すべて見終えたあとに見返すと、全然目新しさを感じなかったりするんです。その「パターンレコグニション」ができるようになるということが、VCの一員としての務めであると教えられました。ARCHではそんな、VCとしての基礎を固める経験を得て、その企業の差別化と優位性をすぐに理解できるスキルを学びました。

また、もう1つ勉強になったことは、グローバルのVCから日本企業が全然“見えない”ということです。ARCHで業務をしていても、日本のスタートアップよりもほかの中国や韓国などのスタートアップがソーシングに入ってきます。案件の比率でいうと、アメリカが7〜8割、ヨーロッパが1割、アジアが1割という感覚でした。そのアジア1割の中でも中国5、韓国4、日本は1程度です。日本が見えないことに、愕然としました。日本人として、また大学まで日本で研究に没頭し、日本のサイエンスが1番だという気概の中で生きてきた私にとって、グローバルなVCから日本が過小評価されていると感じとてもショックでした。

【FTI入社へ】自分の強みを体現できる仕事として

日本にはもっと良い技術があるのではないか、ただ目が向けられていないのではないか、グローバルで求められていることと日本のスタイルがマッチしていないのではないか…。そんなことを思案しました。グローバルの投資と日本の投資・スタートアップコミュニティの距離を漠然と感じました。そう感じたことで、よりグローバルなキャリアを積みたいと思い、米VCでのキャリアを進める準備も進めていきました。しかしそこで、アメリカ人のコミュニティに切って入っていくためには、フックになる強烈な強みが必用だと感じることになります。

アメリカでVCというものはとても人気職で、PhDホルダーや事業会社で経験を積んだ実績のある人材など、各業界のトップ層が入ってきます。頭がキレるのはもちろん、それだけではなく、魅力的なアイディアを魅力的に語ることができる人々なんです。VCというのは将来性に対して投資活動をするという仕事であり、今はない製品や証明されていない技術に対して、説得力を持って語り、投資を集めていくか、人々を巻き込んでいくかという能力が問われ科学的洞察力、ストーリーテリングの力に加えて、1人ひとりがユニークな特長や強みを持っているです。そこで、日本人の自分がどういう特長を持って戦えるのかと、悩みました。そこで、アメリカの超トップティアの人々の中で存在感を出すには、日本との接点を使うことであるという結論に達したんです。その強みを体現できる仕事はなんだろうと考えた仮説の一つは日本のVCでした。グローバルVCと引けを取らない専門性・能力を持つ日本のVCの一つとしてFTIを認識しており、そんなときに、ちょうど安西や木村からFTI米国進出の話を聞き、そこで一緒にやろうと決め、FTIへの入社を決めました。